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東京地方裁判所 平成元年(ワ)11994号 判決 1991年7月05日

原告

勝木国繁

原告

勝木記子

右両名訴訟代理人弁護士

斉藤義雄

佐々木恭三

畑山実

朝倉正幸

被告

日本体育・学校健康センター

右代表者理事長

古村澄一

右訴訟代理人弁護士

菅野祐治

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

被告は、原告らに対し、金一四〇〇万円及びこれに対する平成元年一〇月一〇日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、サッカーの練習中に死亡した中学生の両親が、右練習中に発生した子供の死亡事故は「学校の管理下における災害」に該当するとして、日本体育・学校健康センター法(以下単に「センター法」という。)に基づき災害共済給付(死亡見舞金)の支払を求めたものである。

一争いのない事実

1  原告ら両名の子供である勝木繁は、昭和六一年四月、埼玉県草加市立瀬崎中学校に入学し、サッカー部に入部した。同人は、昭和六二年一二月の時点で二年生であった。

2  勝木繁を含む同校のサッカー部の部員二一名は、瀬崎中学校の冬休み期間中である昭和六二年一二月二五日に、草加市の市営瀬崎グランドで、午前中からサッカーの練習をした。

3  勝木繁は、右練習の終了間際になって、グラウンドに寝ころがって起き上がらなくなり、救急車により市内の病院に運び込まれたが、午後一時五五分ころ、急性心不全で死亡した。

4  サッカー部の顧問教諭は、右練習には立ち会っていなかった。

二争点

センター法に基づく災害共済給付金の支給請求権は、被告の支給決定によって具体的に生じるものではなく、当該災害が、センター法及び関係諸法規に所定の要件を客観的に充足する場合に、当然に発生するものと解される。そこで、本件の争点は、本件災害が、センター法所定の死亡見舞金の支給要件を充足しているか否かであることになり、これについての当事者の主張の概要は、次のとおりである。

1  原告

(一) 本件の争点は、本件災害が、センター法二〇条にいう「学校の管理下」の災害と言えるか否かである。そして、「学校の管理下」の解釈については、体育の振興と児童、生徒等の健康の保持増進を図るために災害共済給付等を行い、もって国民の心身の健全な発達に寄与するという法の目的に照らし、どの範囲までを学校の管理下とするのが合目的的かという見地から行われるべきであり、同法施行令(以下単に「施行令」という。)七条二項各号の規定や「災害共済給付の基準について」と題する行政通知等は、あくまでも解釈に際しての一応の参考基準を示しているに過ぎないとみるべきである。

(二) 以下の事実関係等に照らしてみれば、本件災害が「学校の管理下」の災害と言えることは明らかである。

(1) 瀬崎中学校では、従前からサッカー部等課外の部活動を重視し、生徒にこれを奨励していた。

(2) サッカー部の練習は、日ごろから、顧問の教諭が直接立ち会えない場合には、顧問の下にいる部長(キャプテン)が直接・間接に顧問の意向に従って練習の指導・監督をしていた。

(3) また、顧問教諭は日ごろから、強くなりたければ自分たちで練習するよう指導しており、自主的練習を特に禁止していなかった。

(4) 瀬崎グランドでの練習もしばしば行われてきており、顧問が参加しない場合もあった。

(5) 学校も、右のような状況にあることを知りつつ、これを黙示的に承認していた。

(6) しかも、本件事故の当日に練習をすることは、冬休みに入る前に、部員から顧問教諭に対して伝えてあり、学校としても本件練習が行われることは知っていた。

(7) 当日の練習には、部員二一名が参加し、部長の指揮の下にこれまでと同様の練習が行われた。

2  被告

(一) センター法及び施行令に基づいて被告が行う災害共済給付は、児童、生徒等の「学校の管理下」における災害を対象としており、学校の生徒等に対する管理関係の存在が給付の基礎とされ、その具体的内容が施行令七条に規定されている。

本件に関しては、本件の災害が、施行令七条二項二号の「学校の教育計画に基づいて行われる課外指導を受けているとき」に該当するか否かが問題となるところ、右に該当すると認められるためには、

(1) その活動が学校の教育計画に基づいて行われるものであること

(2) 教師の監督・指導の下に行われるものであること

の二つの要件を満たす必要がある。

(二) 本件練習は、学校の冬休み中の部活動の予定に入っていないし、学校側としては、そのような練習が行われていることは知らなかった。よって、右練習は、学校の教育計画に基づいて行われたものではないし、また、教師の監督・指導の下に行われたものでもない。

第三争点に対する判断

一まず、災害共済給付の支給の対象となるための要件としての「学校の管理下」における災害とは、いかなるものであるかについて検討する。

1  センター法一条によれば、被告は、「体育の振興と児童、生徒等の健康の保持増進を図る」ため各種の業務を行うものであるが、右業務の一つとして「義務教育諸学校等の管理下における児童、生徒等の災害に関する必要な給付」を行うと定められている。このように、センター法は、災害共済給付をする範囲を「義務教育諸学校等の管理下における児童、生徒等の災害」に限定する一方で、施行令七条二項各号は、個々の活動の意義・目的や学校側の過失責任の有無等の個別の事情を一切問題にすることなく、「学校の管理下」と認められる場合を類型的に規定している。

これらの事情に鑑みれば、センター法の定める災害共済給付は、「学校の管理下」と認められる類型に形式的に該当する場合の災害でさえあれば、個々の事情を問題とせずに給付を行い、そのことにより学校安全の普及・充実を図り、もって、児童、生徒等の心身の健全な発達に寄与することをその目的としているものと解される。

2 ところで、センター法二〇条一項二号は、右一条の目的を達成するための被告の業務の内容を定めているが、ここでは、災害共済給付の支給される災害を、「学校の管理下」における災害とのみ規定し、同法二一条二項では、その範囲については政令で定める旨規定している。そして、右規定を受けて、施行令は、七条二項各号で、「学校の管理下」の範囲を具体的に定めているのである。このような規定の体裁から見ると、施行令七条二項は、「学校の管理下」の範囲を、各号に列挙する場合に限定していることは論を待たない(この点に関する原告の主張は理由がない。)。

そして、本件練習は、冬季休業中に学校外のグラウンドにおいて行われていたものであるから、生徒が授業を受けているとき(施行令七条二項一号)、生徒が学校にあるとき(同三号)、生徒が通学するとき(同四号)、その他文部省令で定める場合(例えば、生徒が学校の寄宿舎にあるとき等。同五号及びセンター法施行規則九条)のいずれにも該当しないことは明らかである。

そこで、原告の請求の当否を判断するには、生徒らの課外活動である本件練習が、「学校の教育計画に基づいて行われた課外指導を受けているとき」(施行令七条二項二号)に該当するか否かを検討することとなる。

なお、この点について、「災害共済給付の基準について」と題する行政通知<証拠>は、その体裁から、被告の理事長が各支部の支部長に宛てて出した内部文書であり、公権的解釈の一例ではあるが、法令としての効力を有しないことも明らかであり、一応の参考資料にすぎないというべきである。

3 ところで、このように、施行令七条二項二号が災害共済給付の支給される課外活動を「学校の教育計画に基づいて行われた課外指導」に限定した趣旨は、次のようなものであろう。

すなわち、課外活動というものは、授業中(一号)、在校中(二号)及び通学中(四号)等と異なり、休日や休暇中等の活動及び学校施設外での活動等を含み得るものであって、本来的に時間的、場所的にその範囲が無限定なものであるから、課外活動をしているときに生じた災害すべてにわたり共済給付の対象とするのは適当ではないので、学校として、必要な人的・物的体勢を整えて、事故の発生に対する予防及び対処措置を採ることができる範囲のものに絞ることにしたものであり、その結果、課外指導自体が教育計画の中に組み込まれているものに限定したものと解される。

なお、授業中(一項)や在校中(二項)のみならず、通学中(四項)についても、これを「学校の管理下」と認めることにしたのは、それが通常の通学経路を逸脱するものでない限り、学校としても、生徒の通行経路及び通行するであろう時間帯等を容易に知り得るので、適切な対処が可能であることが根拠となっていると思われるが、この点も、課外指導についてと同様であるといえる。

4 以上を前提に検討すると、課外活動が「学校の教育計画に基づいて行われ」たと言えるためには、少なくとも、学校において、当該活動を学校の教育活動の一環として位置づけており、かつ、学校の責任において実施したと言えることが必要である。そして、特に学校が休暇中に行われるクラブの練習がこれに当たるか否かについては、具体的には、

(一)  当該練習が学校における部活動の計画表に記載されているか

(二)  顧問教諭が右練習に立ち会い、指導・監督を行っていたか

(三)  この練習が正規のものでない場合は、学校において、このような練習が行われていることを認識しつつ、かつ、それを前提とした上で正規の練習計画の内容が決められているような事情があるか

等が重要な判断要素になろう。

そうすると、生徒達が自主的に企画し生徒達のみで実施しただけの練習であったり、あるいは、たまたま教諭が立ち会っていても学校の教育計画と無関係に行われた練習については、「学校の教育計画に基づいて行われる課外指導」とは言えないと解される可能性が大であろう。

5  なお、原告は、全国市長会学校災害賠償補償保険の給付基準である「学校の管理下」の解釈基準を本件においても参考とするべきである旨主張している。しかしながら、右は、学校設置者が「学校災害補償規則」に基づき負担する補償金を保険する制度であり、被告の行う災害共済給付とはその趣旨を全く異にしていること、センター法における給付基準である「学校の管理下」との概念を借用してはいるが、その契約内容は基本的に当事者間の合意により自由に定め得るものであること等に鑑みれば、被告の行う災害共済給付のように、法律の規定に基づいて支給の要件が定められている場合の関係規定の解釈をするための参考に供することは適当ではないと言わざるを得ない。

二そこで、前項の解釈を前提として、本件練習が「学校の教育計画に基づいて行われる課外指導」と言えるか否かを検討すると、証拠(<略>)を総合すれば、次の事実が認められる。

1  瀬崎中学校では、生徒や保護者に対して、生徒が部活動に参加することを奨励していた。そこで、原告らの息子である繁も、その趣旨に賛同し、進んでサッカー部に入部した。サッカー部は、学校で正式に認められた部の一つであり、学校を代表して対外試合にも出場し、県大会では上位八校に入る等の実績を有していた。

2  サッカー部には、学校側の顧問の教諭(繁が一年生の時は浅井正克教諭、二年生の時は大木克己教諭)がおり、部員の中から部長(本件事故当時は、今泉仁)が選ばれ、更に、各学年毎にまとめ役となる部員がいて、顧問、部長、まとめ役の順で伝達、連絡が行われていた。

3  学校の授業日におけるサッカー部の練習の年間計画は、年度当初の職員会議で決定されており、冬休みをはじめとする長期休業日における練習については、休み前に各部の顧問が予定表を作成し、代表顧問がそれを集約して、計画書を調整し、学校長の承認を得るという手続で決定されていた。

夏休みは、お盆の時期を除いてほぼ毎日練習があり、春休みは、休みなく練習があり、冬休みは、暮れから正月三が日までの一週間くらいの休みを取っているのが通常であった。

4  サッカー部の日常の練習には、放課後の練習、始業前の練習(以下「朝練」という。)及び休日の練習等があり、その際には、顧問の教諭が立ち会う建前となっていた。

もっとも、放課後の練習においては、顧問教諭が職員会議等のために、直接に練習の場に立ち会うことができないこともあり、その場合には、部長に指示だけして、学校の校庭で練習させておくときもあった。

また、朝練には、顧問教諭は(浅井教諭、大木教諭とも)あまり立ち会わなかったが、その場合でも、学校としては、一日に最低二人の朝練の当番を定め、その教諭が、他の部活動も合わせて面倒を見て、事故が起こった場合にはその対処に当たることになっており、学校側の指導・監督者が全く不在の状況で、部活動が行われることはなかった。

本件練習が行われていた瀬崎グランドのように、学校外の施設等で練習が行われる場合及び休日の練習の場合には、必ず顧問教諭が立ち会うことになっており、都合がある等の理由で顧問が途中で帰ることもなかった。これは、顧問が、浅井教諭の場合も、大木教諭の場合も、同じであった。

5  サッカー部の顧問の教諭は、日ごろから、サッカーに強くなりたければ自分でも練習するようにと指導し、部員が自主的に練習をして技術の向上に努めることを勧めていた。もっとも、それも各人が個人としてボールに慣れるなどの練習をすることを念頭においていたものであり、多数の部員が集まって、サッカー部としての活動を自主的かつ組織的にすることまでを勧めていたわけではなかった。そのため、右のような多数による自主的かつ組織的な練習が現実に行われているか否かについては、顧問教諭としては把握していなかったし、多数集まって行う自主的練習を禁止するという指導も特に行われていなかった。

6  瀬崎中学校の昭和六二年度の冬休み中のサッカー部の練習は、年明けの一月三日までを休みとし、同月四日から同月七日までを練習日として予定が組まれ、同中学校の部活動予定表に、その旨が記載されていた。右予定は、部員各人にも伝えられていた。

7  ところで、昭和六二年一二月当時、サッカー部は、年が明けると間もなくライオンズカップという大会に参加することを予定しており、一軍の選手が一名転校することになっていたために、二軍の選手のうち一人を一軍に繰り上げる必要があったことから、主に二軍のレベルアップを目的として、本件練習が行われた。参加者は、部長の今泉を中心として、他に一軍の部員二名、二軍の部員一八名(うち、二年生は一七名、一年生は一名)であった。当日の練習は、今泉部長を中心に、軽くランニング、準備体操の後、パス練習、シュート練習及び試合形式の練習を行い、最後に二組に別れてリレーをするなど、通常の練習と同様の方式で進行した。

8  リレーが終わって程なくして、繁は突然グラウンドに寝転がってしまい、今泉が近寄ってみて様子がおかしいことに気付いた。今泉は、付近で練習していたスポーツ少年団の監督に連絡を取り、その指示で救急車の手配をした。また、たまたま近くの体育館で瀬崎中学校の女子バスケット部が練習をしていたので、その指導に当っていた西田教諭に連絡を取った。

三右に認定した事実を前提として、本件について判断する。

1 まず、冬季休暇中のサッカー部の練習は、年明けの一月四日から行われることが決められており、予定表にもその旨記載されているが、本件練習は、冬季休暇中の部活動の計画表に記載されてはおらず、また、顧問教諭が右練習に立ち会うこともなく(この点は、当事者間に争いがない。)、その指導・監督は行われていなかったのである。

2  次に、学校において、本件練習が行われることを承知しており、このような自主的計画が行われることを当然の前提として、正規の練習計画を決定しているような事情が認められるか否かを検討する。

(一) まず、本件練習のように、学校の正規の部活動の計画に入っていない時間帯に多人数による自主的かつ組織的練習が、これまでにある程度恒常的に行われていたか否かを検討する(これが肯定できれば、学校において、本件練習を含めて自主的練習が行われていたことを承知しており、正規の練習計画にも影響を及ぼしていることが推測されることになる。)。

証拠(<略>)によれば、サッカー部員らは、サッカー部の練習は日ごろから自主的練習がほとんどであり、顧問教諭は、特に大木教諭に代わってからは、ほとんど練習に立ち会っていなかった旨の陳述等をしている。しかしながら、ここで自主的練習というのは、顧問教諭が参加して行う練習以外の練習のことを指しているのであり、要するに、顧問教諭が現場に立ち会わない練習すべてを自主的練習という表現で述べているのである。ところで、学校の教育計画に位置付けられている正規のサッカー部の練習においても、放課後に職員会議があったり、朝練の当番教諭がいる等の理由で、顧問教諭が練習の現場に立ち会っていない場合もあるのだから、その場合は、部員らの言う「自主的練習」にも該当し、かつ、学校の教育計画に基づく正規のサッカー部の練習でもあることになる。

そうすると、右証拠によっては、サッカー部員が、学校の正規の部活動の計画に入っていないにも拘らず、多人数による自主的かつ組織的練習をある程度恒常的に行っていたことを認めることはできず、本件においては、ほかに、この点を認めるに足りる証拠はないことになる。

(二) 次に、このような自主的かつ組織的練習が、(恒常的にではないものの)一部行われていたとしても、前記認定事実によれば、サッカー部の顧問教諭の浅井及び大木教諭において、このような練習が行われていたことを把握していなかったのであるから、学校としては、一般的には、このような自主的練習が一部されていたことの認識がなかったと言うほかはない。

(三) ところで、本件練習は、生徒らが(顧問の指示によらずに)自主的に、補欠選手の技能向上のため、二軍を中心として二一名が集合して行ったものであるが、顧問の大木教諭が、生徒たちによりこのような自主的練習が行われる旨をたまたま事前に知らされていた可能性もある。しかし、大木教諭は、本件練習については特段の指示等をすることなく同僚とスキーに出掛けてしまっているのである(証人大木の証言により認められる。)。そうすると、顧問教諭においては、本件練習が、正規のサッカー部の練習計画の前提になっているものであるというような認識は皆無であったことが窺われる。

したがって、いずれにしろ、学校としては、本件練習が行われていることを当然の前提にした上で、正規のサッカー部の練習計画の内容を決めていたというような状況も、当然のことながら存在しなかったということになる。

3 以上を総合すれば、瀬崎中学校としては、本件練習につき、教育活動の一環として位置付けた上で、その責任の下で指導・監督を行っていたとは認めることができない。

四したがって、本件練習が、センター法所定の死亡見舞金が支給される要件としての「学校の教育計画に基づいて行われる課外指導」に該当するとは認められない。

(裁判長裁判官千葉勝美 裁判官山口博 裁判官花村良一)

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